マッチ売りの少女の微笑み

( 平成30年2月19日 山陰中央新報 読者ふれあいページ記事です)

「マッチ売りの少女」の微笑み

仁照寺住職 江角弘道

童話は、子供のためにある話だとこれまで思っていました。しかし、その童話を今読み返してみると、大人への深いメッセージが含くまれていることがわかります。

アンデルセンの童話「マッチ売りの少女」の後半の部分で、マッチを擦りながら暖をとっていた少女が、夜空に流れ星を見て、この世でたった一人、少女にやさしくしてくれたおばあちゃんを思い出す場面があります。そこで、またマッチを擦るとおばあちゃんが、夜空に現れてきました。少女は、マッチの束を一度に擦り、おばあちゃんの姿を長くひきとめようとしました。マッチは目もくらむような光を放ち、あたりを昼よりも明るくしました。そこで、少女は、おばあちゃんの腕に抱きあげられ、光と喜びに包まれて、空高く昇ってゆくのです。その翌日、少女は町の片隅で、ほほは赤く、口元には微笑みを浮かべて、死んでいました。それを見た人々は、「この子はこうして、あたたまろうとしたのだね」と言い合います。作者は、「少女がどんなに美しいものを見たか、おばあちゃんと二人、どんなにすばらしい光に包まれて、新年の喜びを迎えたのか、だれにも分かりはしなかったのです」と結んでいます。

この童話の中で、少女がロ元に「微笑みを浮かべて」死んでいる様子が描かれています。あんなに貧しい不幸な人生だったと思われるにもかかわらず、なぜ、微笑んで死ねたのでしょうか。どんな人生をおくれたら、最後に微笑んで死を迎えることができるのでしょうか。この童話から考えさせられたことは、「ひかりに包まれる世界」のあることです。やさしかったおばあちゃんのいる「ひかりの世界」を、少女は心の中にはっきりと見て、そこへ帰って行ったのです。

普通の人は、日常死のことを考えて生きてはいませんが、例えば、ターミナル期にあるがん患者の場合を考えてみると、死が目前です。がん患者が点滴で日々を送っていることは、少女がマッチで暖まりながら生き延びていることと対応しているように思えます。この少女のように微笑んで死んでゆくことができるがん患者は、「ひかりの世界」を心の中に持っていることでしょう。眼に見えない「ひかりの世界」のあることに目覚めていない患者の場合、死は絶望となってゆくでしょう。

さらに考えてみるならば、がん患者だけでなく、私たち自身が、自我の欲望だけで生きているとしたら、少女が売り物であるマッチで暖まりながら生き延びていることと対応できるようです。私たちが、少女のように「微笑みを浮かべて」死んでゆくためには、「ひかりの世界」のあることに目覚めることが、重要なことになります。仏教では、「ひかりの世界」のことを、「浄土」あるいは「無量光明土」といいます。「念ずれば花ひらく」で知られる詩人・坂村真民師の詩に、「安らぎ」があります。

安らぎ(坂村真民 作詞)

帰って行く処がわかっているからあんないい顔になるのだ。

あんないい目になるのだ。あんな安らぎの姿になるのだ。

「ひかりの世界」は、煩悩の真下にあり、仏様を念ずれば斯(こ)の光に遇(あ)うことができます。微笑んで死んだ少女は、おばあちゃんを念ずることで、斯の光に遇ったのです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です