「いのち」の流れ

Ⅰ.はじめに
私たちの「いのち」はどこからきたのでしょうか。今、私たちが生きているのは、親の生命が流れ込んでいるからです。またその親が生きていたのは、その親の生命が流れ込んでいたからです。このように過去へ過去へと遡ってみますと、地球があったから、そこに生命の誕生があったのです。その地球は、太陽の惑星として生まれました。さらにその太陽は、天の川銀河系の中から生まれてきた。銀河系は、宇宙の始まりにビッグバン(大爆発)があり、その宇宙の膨張過程の中で誕生してきたものです。このように「いのち」について考察することは、「コスモロジー(宇宙論)」の展開と関係してきます。この場合のコスモロジーとは、近代理性中心主義―物質科学主義的コスモロジーを超えた霊性的コスモロジーであると考えられます。つまり、仏教の根底に霊性的コスモロジーが横たわっていると考えられます。
18世紀末のドイツロマン派詩人のノヴァーリス(1772~1802)の「フラグメンテ(断片集)」の中にある次の詩は、その人の深い感性を感じさせます。それは、霊性といっても良いと思われます。
すべての見えるものは、見えないものにさわっている
聞こえるものは、聞こえないものにさわっている
感じられるものは、感じられないものにさわっている
おそらく、考えられるものは、
考えられないものにさわっているだろう
この詩は、般若心経の中の名句「色即是空空即是色受想行識亦復如是」と対応していると考えられます。対応関係を示せば、次のようになります。
見えるもの・・・・・・・色 ⇔ 見えないもの・・・・・空
聞こえるもの・・・・・・声 ⇔ 聞こえないもの・・・・空
感じられるもの・・・受・想 ⇔ 感じられないもの・・・空
考えられるもの・・・行・識 ⇔ 考えられないもの・・・空
これらのものは、すべては「空」と関係しています。それは「大いなるもの・霊性」と関係していると考えられます。
また、次の金子みすず(1903~1930)の詩にも、「大いなるもの・霊性」の働きと関係していると考えられます。
蓮と鶏(金子みすず作詞)
泥の中から 蓮が咲く それをするのは蓮じゃない
卵の中から 鶏が出る それをするのは鶏じゃない
それに私は気がついた それも私のせいじゃない。
これら詩から、「霊性」について考察することは、「いのち」について考察することになります。
さらに、陶芸家である河井寛次郎(1890~1966)は、彫刻、書、詩や随筆などについても優れた作品を残しています。随筆集「火の誓ひ」(209頁)の中の次の詩にも、「大いなるもの・霊性」の働きが考えられます。
「だれが動いているのか これこの手」
物理学者にして、文化勲章受章者であり、東京大学総長や文部大臣などを歴任された有馬朗人氏(1930~)は、また有名な俳人でもあり、その句の中に次のような自然科学的な俳句があります(有馬朗人第六句集『不稀』より)。
「ビッグバンの残光にして初日影」
有馬氏は、初日を仰ぎながら、これは138億年前にあったビッグバン(大爆発)の残光であるなどと考えておられる。そこには、自然科学者の眼差しがある。
現代宇宙物理学によりますと、私たちの住む宇宙は、今から137億年前に、「無のゆらぎ」から直径0.00000000000000000000000000000000001センチメートルの1点(超ミクロ宇宙)として突然に生まれました。現在にいたるまでの138億年の壮大な宇宙史は、すべてこの1点から始まったのです。現代科学において、ミクロな世界を考察する理論は量子論です。携帯電話、テレビ、電子レンジなど現代生活で使用されている電気製品は、すべて量子論から生み出されて来ています。量子論で「超ミクロ宇宙」を推論すると、そこは、無(真空の状態)がゆらいでいると考えられます。そのゆらぎが、臨界値を超えて、急膨張し、ビッグバンが起こったと推論されています。
それにしても、だれがこの「無のゆらぎ」から、ビッグバンが生ずるようになる引き金を引いたのでしょうか。その引き金の引き手は、生命の根源であり、それは、大いなるもの・理解することができないもの・量り知れないも・無量なるものとしか言いようがありません。それを、サンスクリットで『アミタ』(阿弥陀はサンスクリットの「アミタamita」の音のあて字であり、「アa」が否定を意味し、「ミタmita」が「計算する、量る」を意味します。だから「アミタamita」は計算できないもの、量り知れないものとなります。それで阿弥陀は無量と訳されます。)と言います。即ち、阿弥陀の法身からエネルギーが流れ出て、地球が生まれ、生命が誕生し、今日の私たちが存在していると考えられます。だが科学者の多くは、「阿弥陀の法身からのエネルギー」などとは、考えずに今後研究を深めて行けば科学的に解明されるだろうと考えています。
しかし、生命科学者の村上和雄は、そのことに気づき、「大いなるもの」を「サムシング・グレート(something great)」と呼んでいます。また、宇宙物理学者の桜井邦明は、「人間のような生命が存在できるためには、宇宙の進化の過程の中で、星々が形成され、そのエネルギー源となる熱核融合反応を通じて、生命が必要とするいろいろな元素の合成が成されていなければならなかった。この反応は星の中心部で、順に重い元素を軽い元素群から合成するもので、生命に必須な炭素や窒素、酸素は、ヘリウム同士の融合を基本過程として合成されてくる。生命も、宇宙の進化の過程から離れては存在しえないのである。したがって、宇宙の進化が、私たちの前に今広がっているような自然界を作りだしてくれるものでなかったとしたら、私たちは存在していなかったことになる。宇宙に存在する物質の間には、四つの力が働いている。四つの力の強さを決める物理定数、つまり結合定数が、どれでもよいから現在知られている大きさと違いがあったら、今までに明らかにされたような宇宙の進化は起こっていなかったことになる。これは偶然に生じたとは、とても考えることができないことである。 生命が存在できるような形に、自然界に見つかるいろいろな物理量が必然的に決まっているとも考えられる。宇宙には前もって定められたデザイン原理のようなもの、すなわち『宇宙意志』があると思える。」と述べています(「宇宙には意志がある」、クレトス社、1995年)。『宇宙意思』とは阿弥陀如来の働きであると考えられます。

筆者は、20代の頃から35年間物理学の研究に携わってきました。その間に臨済禅の修行も少しばかり経験をしてきました。そんな中で、50代半ばに「二十歳の娘(二女)の理不尽な突然死」と遭遇し、その後、河波定昌上人の法話、山本空外上人の本「念仏と生活」、「無二的人間」、山崎辨栄上人の本「人生の帰趣」、「宗祖の皮髄」に出会いました。このような経緯の中から、物理学と仏教が共に宇宙の真理・法を探求するものであることがはっきりしてきました。
河波上人は、仏教は「ひかりの現象学」であると述べられています。筆者は、この言葉に目覚めさせられて、物理学は「エネルギーの現象学」であることが深く肯けました。だから、現在はありがたい御上人方と不思議なご縁でお会いできたおかげで、ビッグバンはまさしく「阿弥陀仏の法身からのエネルギー」であるということが頷けます。今、現に生きながらえていることも決して私の力ではない。育ててくれた親のおかげ、助けてくれる家族、地域の人々、社会、国家のおかげそして水や空気や食物のおかげと数えきれない一切のおかげを頂いている。すべてのものは、重重無尽な相互依存の関係で存在しているのです。それを言い換えれば、阿弥陀仏のおかげによって生かされているのです。そして、その「阿弥陀仏様のおかげ」と感じさせているものこそは、霊性といえるものではないでしょうか。私も有馬氏にまねて、一句詠んでみました。
「ビッグバンのおかげなりしや初日の出」
普通一般の人は、霊性の存在を感じずに一生を終る場合もありますが、修行をされた人、苦難を乗り越えられた人などは、霊性を感じておられます。妙心寺派の管長や花園大学の学長をなされた山田無文老師(1900~1988)が、修行時代に結核に侵され、自宅に帰られて療養をされていた苦難の頃に、ある朝、ふと障子を開けて、濡れ縁に出られた時、一陣の風を感じられたその時に感動され、その想いを次の歌に託されました。
「大いなるものに抱かれあることを、今朝吹く風の涼しさに知る。」
この時、無文老師は、「人は決して自分一人で生きているのではない。大きな力に生かされておるのである」ことを実感され、「ああすまんことでした。もったいないことであつた。」と、とめどもなく歓喜の涙を流されたとのことです。この「大いなるもの」は、実は「霊性」といえるものです。この歌が出来る直前に無文老師は、『いったい風とは何だろう』と考えられて、『空気がうごいているんだ』、『空気! そうだ! 空気と言うものがあったんだなあ』と空気の存在に感動をされています。この瞬間、無文老師は、風(空気)に「大いなるもの」つまり「霊性」を感じられていたのです。それは常に存在し、私たちを生かしているものであり、それが私たちの呼吸となって「いき」する時、それが私たち自身の「いき」る根源となり、いわゆる「生きる」ことは「いき(呼吸)する」ことであり、「生命の根源」と一つに連なっていたのです。そして、私たちは、生きているのではなくて、空気に(霊性に)生かされているのです。
河波上人は、「霊性とは、天地にわたって全宇宙的に満ちており、どこまでも天空的であり、また大地的である。それゆえにこの霊性は普遍(偏在)的なものであるが、現実には日本的霊性やドイツ的霊性、そしてフランス的霊性などが考えられる(河波昌著:形相と空、138頁)。」と述べられている。
霊性は、人類が誕生してきてから、それぞれの場所で特有な名前で呼ばれるようになったと考えられますが、実は人類が地球上に現れる前から流れていた、つまり宇宙の始まりから流れていたということが考えられます。

Ⅱ.日本的霊性について
日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者の鈴木大拙師(1870~1966)は、昭和19年(1944年)に著書「日本的霊性」を刊行されました。霊性は普通に精神と言っているはたらきと違うものである。精神には倫理性があるが、霊性はそれを超越している。精神は分別意識を基礎としているが、霊性は無分別智であると著書の中で述べている。それは明治期以降の近代日本が理性に偏重していた当時に、近代理性中心主義からの転換を、「霊性」という言葉で日本国民に警鐘をならしたのだろうか。
また、「霊性を宗教意識と言ってよい。ただ、宗教と云うと普通一般には誤解を生じ易いのである。日本人は宗教に対して余り深い了解を持っていないようで、或いは宗教を迷信の又の名のように考えたり、或いは宗教でも何でもないものを宗教的信仰で裏付けようとしたりして居る。それで宗教意識とは言はずに霊性と云うのである。が、元来宗教なるものは、それに対する意識の喚起せられざる限り、何だかわからないものなのである。これは何事についても、云われ得ると思われるが、一般意識上の事象なら、何とかいくらかの推測か想像か同情かが許されよう。ただ宗教についてはどうしても霊性とでも云うべきはたらきが出て来ないといけないのである。即ち霊性に目覚めることによって始めて宗教がわかる。」(鈴木大拙全集 第8巻 22頁)と述べている。
さらに、「宗教は、人間の精神がその霊性を認得する経験であると云われるのである。宗教意識は霊性の経験である。精神が物質と対立して、かえってその桎梏に悩むとき、自らの霊性に触著する時節があると、対立相剋の悶は自然に融消し去るのである。これを本当の意味での宗教と云う。」(同書 24頁)と述べている。そして、日本的霊性の成立を鎌倉仏教にみていました。
河波定昌上人は、「日本的霊性について」次のように述べられている(河波昌著:形相と空、139~141頁)。
「霊性とはたんなる人間の観念論的ないとなみにとどまるものではない。それはどこまでも真実にして現実的なるものの生起である。それゆえに日本的霊性の展開も、華厳的表現を借りればそれは「如来性起」あるいは「如来出現」の一環をなすものにほかならない。全宇宙的に遍在する霊性が、私たちのうちに現起してくるのである。それは宇宙論的な生起である。鈴木大拙はその具体的な展開を鎌倉仏教以降に見ていた。
この霊性は私を包んで私のあらゆる側面にはたらきかけるものであり、また私を突き破って私の内奥の根底からはたらき出るものでもある。そこでは外(超越)が内(内在)であり、内が外である。両者は不二であり相即的である。
この霊性はまた理性が分別的、部分的であるのに対して、全体的であり、包含的である。それゆえ霊性は感性的なるものの尖端にも全面的にはたらく。有名な芭蕉の俳句である、
あら尊と 青葉若葉に日の光
ここでは日常的に経験する日の光に霊性的なものが現起している。日の光に対する感覚は、その感覚を通して霊性的なものを喚起している。「あら尊と」とは日常的なるものに対する霊性の突破を示している。日本民族の、感性的なものに即して霊性的なものを実現していく態度は、世界的にも卓越無比である。
自然の豊かさに恵まれた日本人にとって自然とは、豊かな霊性の基盤をなすものであった。日本人は気づこうと気づくまいとにかかわらず、事実として無意識のうちにこの自然の霊性と感応道交していた。月の清浄さに感動しつつ、霊性の清浄さと現実的な交わりがあった。鈴木大拙も人々を戦争にかり立てたイデオロギーとしての国家神道をきびしく批判しつつ、その奥底に素朴ではあっても本来は豊かな霊性としての自然そのものを洞察していたことは注目すべきである。
自然科学の立場において見られるように、自然を対象化し一面的に見ることによって霊性は消滅する。近代はこの霊性を理性によって殺戮してきた時代であった。近代的自我の確立が、その原因となっていた。その近代的自我の超克の上にはじめて、より高次の豊かな霊性的自我が展開される。大拙の『日本的霊性』の意義は、実に測り知れないほど重要である。」
また、淑徳大学公開講座における河波昌上人講演(2010年12月8日)では、「日本的霊性―雪月花の奥底にはたらくもの」として次のように語られました。
「日本的霊性は、1万年も続いた縄文時代から始まっていた。そしてそれは弥生文化、そして大乗仏教の受容を通して限りなく深められていった。鎌倉仏教もその顕著なる一契機となるのである。
ところで1万年以上も続いた縄文文化はまさに日本の霊性文化の基調をなすもので、それへのアプローチには、①風土的思考、②祭祀(遺跡)への思考、③霊性的言語からの考究がある。
①に関して:日本的風土、とりわけ自然が成立の要因となる。それらは地水火風空、そして雪月花等が重要な契機となる。雪月花は日本人の美意識を形成していったが、それに即して実に霊性的意識を深めていった。
②に関して:祭祀(遺跡)、例えば「ひもろぎ」等、それは霊性的なものが集中する場処である。【注:古来、日本人は自然の山や岩、木、海などに神が宿っていると信じ、信仰の対象としてきた。そのため、古代の神道では神社を建てて社殿の中に神を祭るのではなく、祭の時はその時々に神を招いてとり行った。その際、神を招くための巨木の周囲に玉垣をめぐらして注連縄で囲うことで神聖を保った。古くはその場所を神籬(ひもろぎ)と呼んだ。「ひもろぎ」(古代には「ひもろき」)の語源は、「ひ」は神霊、「もろ」は天下るの意の「あもる」の転、「き」は木の意とされ、神霊が天下る木、神の依り代となる木の意味となる。】 いわゆる祭祀空間、そしてその行為、意義等の考察が重要である。
③に関して:日本的霊性への言語からのアプローチ、たとえばカミ、さらにそれに先行する言葉として、ミ(→ワダツミ)、チ(→チハヤブル)等が考えられる。【注:「ワタ(ダ)」は海の古語、「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意であるので、「ワタツミ」は「海の神霊」という意味になる。「チハヤブル」は「神」にかかる枕詞である。例えば「雷」は古くは「イカズチ」と言われていてその語源は、「イカ」は「たけだけしい」「荒々しい」の意で「厳しい」の語幹、「ズ(ツ)」は助詞の「ツ」、「チ」は「ミズチ(水霊)」や「オロチ(大蛇)」の「チ」と同じ霊的な力をもつものを表す言葉で、「厳しい霊」が語源となる。さらに、「イノチ」の「イ」が「生く」、「息吹く」、「息」を意味し、「チ」は「霊」の意味、だから「イノチ」は生命の根源の霊力の意味になる。】なお霊性自体は不可視であるが、それは種々に現象し、露わとなっている。また、紀元前後より日本に由来した漢字が加わることにより、原始日本語が壊れていったと言える。例えば「すむ」は、「住む」、「澄む」、「済む」、「棲む」、「清む」など漢字を加えることにより、意味が限定されてくる。
日本的美形成の三要因としての雪月花も霊性的背景なくしては徹底しない。例えば、雪は斎潔(ユキ)であり雪ではない(斎(ユ)は神女が神前で神事を行う様を示すものであり、潔(キ)は清浄の行為である。花、とりわけ「サクラ」はさ(神性)がそこに現前する場(クラ)であり、花見とはそこに神聖さを見る呪術的ないとなみであった。花もまたそれを見る単なる私たちの主観のいとなみの次元の問題ではなく、むしろ霊性が花となって働いていたというべきである。それは、人間の主観以前の問題である。月見もまた月の清浄さ、円満さを自らの内に取り込む呪術そのものである。月を詠む和歌もまた呪術的行為が先行していたのである。月も縄文文化の核をなすものであった。それは狩猟経済と不可分のものであったが、又その月は清浄さ、完全性等の霊性文化形成の核をなすものであった。月に関しては無数ともいえる程の歌が詠出されているが、次はその数例である。
秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出ずる月の影のさやけさ
(左京大夫顕輔)
あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月
(明恵)
月かげのいたらぬさとはなけれども ながむる人のこころにぞすむ
(法然)
月を見て月に心のすむ時は 月こそ己が心なるらめ
(山崎辨栄)
このような伝統的な霊性基盤から人間形成がなされていったのである。この霊性は、まさしく人間形成の核をなすものであり、雪月花となって働いているのである。つまり雪月花をとおして「感応道交」が行われている。森や湖水や林などに霊的な場所があり、霊性はいろいろな形で現象してくる。そして法然上人の歌『阿弥陀仏と心は西に空蝉のもぬけはてたる声ぞすずしき』にあるごとく、念仏の中で霊性が現象してくるのである。」

Ⅲ.霊性の流れ
一方、近代において、「霊性」を深く展開されたのは、山崎辨栄上人(1859~1920)であった。鈴木大拙師に先行すること半世紀くらい前から、豊かな展開をなされていた。辨栄上人遺稿要集である「人生の帰趣」(10頁)に、霊性が次のように説明されている。
「仏教に、人の心性に仏性と煩悩との両面を持っていると説いてある。仏性の方は人々具有するもまだ伏能である。例えば鶏の卵の様なものにて之を孵化して雛としなければ鶏となることはできぬ。卵の中に鶏となり得られる性をもっているので外部から容れるものではない。霊性は本来各自具有している。外界から仏性が容れられるものではないと。また仏性と共に煩悩という罪悪の性ももっている。この煩悩は大霊の力によって霊化せられる。即ち煩悩は菩提である。即ち高等なる道徳心と成るのである。例えば渋柿の実もよく乾燥して甘干となれば渋味が変化してかえって甘味となるごとくである。」と述べられている。ここでは、霊性は仏性と同義のものである。霊化とは、鈴木大拙の言う「霊性に目覚めること」に対応している。
この霊性なるものが何より生まれ、現在までどのように成長してきているのであろうか。まず、辨栄上人は、「仏法という真理は、宇宙の大法である。宇宙の大勢力は、太陽及び地球等の万物の設備をもって、一切の生物界を生成し原始生物極小の生物よりして進化せしめて、ついに終局は永劫の大涅槃に帰趣せしむるの勢能なり(7ページ)。」と説明されている。これを現代科学的に考えれば、宇宙の大勢力とは宇宙の始まりのビッグバン(大爆発)の大エネルギーに相当すると考えられる。このエネルギーの流れるところでは、太陽や地球が生成され、そして地球上に生物を生じさせ、ついに人類を誕生させて、その人類を、やがて大涅槃に帰趣させるエネルギーとして流れるということになる。
上記のことは、「生産門」として次のように説明されている(179頁~180頁)。
「法身より世界を発展し、世界より衆生を産出したる次第を論ずれば、先づ一大法は万有の本源にて即ち大心霊である。その属性の一切智と一切能との働きにより世界万有を発展してきたものであり、もしこれを外部より見れば因縁と因果とに形成せられる世界と及び衆生である。さらに言を換えて言えば、いわば法身は、大造化の故にその分身たる世界もまた中法身造物主である。衆生もまた小法身造化と云う事ができる。
大法身が常恒の遍動に依って世界を活動せしめ、世界もまた常恒の活動によりて、衆生を生活せしむ。各位共に全力をつくして生活し活動して止まぬ。絶対に比せば大海の小浮たる太陽系においても、また下りて衆生に於ても、何れも進化の為に常に努力しつつある状態を見よ。
先づ、太陽が初め星雲の状態より無数の時間を以て自己を完全せんとしての努力の結果は、すでに成功を遂げて大威力ある恒星を成す。而して絶対者の威力の分身をあらわし、しかも天体の親として、地球という子を分娩し親の恩寵は、子の為めに常恒に力を注ぎて休息すること無し。地球もまた、初めガス態より努力の結果は、生物なる無数の子を産みて之を養成す。其の地球も高等なる動物を養ふ資格未だ完備せざる間は、微小の生物を発生してきた。動物の原始状態においてもその初めアミーバ底の生物として世に現はれてきた。其の極小なる生物にも、法身よりの一系統を受けたる性能を具有しているを以て、外縁の許す限りは発達せんとする。其の内に絶対より受けたる活力あり。ほかにこれを助成する機関あり。これが植物等と共に増進し、生物を進化せしむる内外の因縁によりて漸次に発達した。
かくて無数の階級を経て、ついには人類という高等なる動物に現化せり。人類もまた原始的なる不完全の状態より漸次に完全に向かって進んできた。人類進化の目的は他の科学者の方より見れば、また見解を異にするけど、吾人宗教的立場より言及すれば、生理機能なる即ち肉体は手段にして、精神の方面に於て、永遠不滅の生命に入りて真の目的をとぐるところに在るものとす。即ち人の精神の奥底に潜める最高等なる霊性を発揮し、如来の聖旨にかなう霊的人格となり、終局は、本覚の涅槃に帰着するところに在るものとなす。」
以上から、ビッグバンから流れ出た想像を絶する莫大なエネルギーの流れは、「霊性の流れ」とも言えると考えられる。そして、ビッグバンの引き金を引かれた方こそは、宇宙の大霊体なる法身如来(大ミオヤ)であろうと考えられる。
「ぞうさん」や「やぎのゆうびんやさん」などの童謡の作家として有名なまど・みちお氏に、「水は うたいます」という詩があります(まど・みちお全詩集、理論社)。
水は うたいます
川を はしりながら
海になる日の びょうびょうを
海だった日の びょうびょうを
雲になる日の ゆうゆうを
雲だった日の ゆうゆうを
雨になる日の ざんざかを
雨だった日の ざんざかを
虹になる日の やっほーを
虹だった日の やっほーを
雪や氷になる日の こんこんこんこんを
雪や氷だった日の こんこんこんこんを
水は うたいます
川は はしりながら
川であるいまの どんどこを
水である自分の えいえんを

ここでは「水」が霊性と呼ぶべきものに当たり、その水が縁に従って海の姿となり、あるいは雲や虹の気体状態となったり、雨の液体状態となったり、雪や氷という個体状態となったりして変化しています。まど・みちお氏は、「ひとつの水の無限の姿であって、別のものではない」というのです。霊性は、縁に従ってさまざまな姿となり、流れて行くのです。そして人間の姿にもなったのだと考えられます。だから、凡夫が修行して悟ることで、初めて仏性・霊性を手に入れるということではなくて、初めから霊性が備わっていることに気づかず迷っているのが凡夫なのだということです。私たちは、霊性の働きによって生かされているのです。気づくとか気づかないとかにかかわらず、心臓が動き、呼吸ができ、話すことも、動くことも、食べることも、すべて霊性からの働きかけによるものであるということです。
科学者のジェームズ・ラブロックによって、地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げていることから、地球をある種の「巨大な生命体」と見なすガイア仮説を述べました。物質である地球を生命体とみなすのは、両者にある重々無尽な相互依存関係です。従って、大宇宙そのものも、ひとつの生命体として活動していると考えられます。成人した人間は、約60兆個の細胞から構成されていますが、それらが一糸乱れず法則のもとに活動しつづけているおかげで、ひとりの人間の「いのち」が現れています。これと同じように、大宇宙の「いのち」は、地球や太陽がひとつの生命体として活動することにより、現れているといえます。釈尊はこのありようを「縁起の法」として悟られました。釈尊は、三十五歳の十二月八日未明、暁の明星(金星)がひときわ明るく輝いた時、宇宙の大法である「縁起の法」を発見せられました。この縁起の法は釈尊の出世に関係なく永遠の過去から未来まで、宇宙に存在するあらゆる物を貫き、働いています。この法こそが、『大いなるもの』であるといえます。釈尊は、光(金星の光)に如来を感じられていたのです。
たまたま釈尊によって発見されたから仏法と名づけるのであって、それは物理学の万有引力の法則のごとく、いつどこで、だれでも認めなければならないものなのです。さらに、この偉大なる悟りをおひらきになったとき、まず口をついて叫ばれたことは、「奇なる哉、奇なる哉、一切衆生悉く皆如来の智慧徳相を具有す」というお言葉でありました。また「一仏成道して法界を観見すれば、草木国土悉く皆成仏す」というお言葉であったと申します。大自覚にはいられた釈尊が、自ら反省してみられたとき、その自覚の内容である智慧と慈悲は、修行してえられたものではなく、万人がひとしく、生れながらにして心中に内存しておるもの・霊性であったことに気づかれて、驚喜されたのです。
また、一休宗純禅師(1394~1481)には修行中の次の歌がある。
「本来の面目坊が立ち姿、一目見るより恋とこそなれ」、
「我のみか釈迦も達磨も阿羅漢も此の君ゆえに身をやつしたれ」
これらの歌は、「大いなるもの」に触れたい会いたい一心で高次の恋(霊恋)をしている様子を歌ったものである。それは、「大いなるもの」に接触しないと、自己の霊性(仏性)が目覚めないからであると考えられる。そして悟りの歌として、次のものがある。
「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、生まれぬ先の父ぞ恋しき」
この歌の意について、辨栄上人は、「我らは今、人間に生まれ出しも、我が心霊が何れより来たかということも知らない。また、死して何れに趣向すべきやもしらず、闇より闇にさまよう凡夫である。しかるに先覚者なる釈尊の教えたる経文を読みて初めて我らは、無明を父とし、煩悩を母として生を受けたるもの、その先の迷い出ぬ昔の本覚真如の都に自性天真如来という真の父の在ますと聞きてより心の奥底に潜める霊が喚起されてしきりに天真のミオヤが恋しくなるということである。」(人生の帰趣、451頁)

童謡詩人の金子みすずに次の詩があります。

はちと神さま(金子みすず作詞)
はちはお花のなかに,お花はお庭のなかに,
お庭は土塀のなかに,
土塀は町のなかに,町は日本のなかに,
日本は世界のなかに,世界は神さまのなかに。
そうして,そうして,
神さまは小ちゃなはちのなかに。
この詩は、超越(世界(はちはその中に一つ)は神様の中に)と内在(神さまは小ちゃなはちのなかに)を分かり易く述べています。神様の中に私がおり、私の中に神様がいる。超越と内在が一つになって働いてくること、外から働きかける者が内から湧き出てくるのです。私のこころがなくなったとき(空になったとき)に、滾々(こんこん)と私のこころの奥から泉の如く湧き出てくる者があります。まさに「霊性」が流れ出て働きだすところを詩っています。華厳経の中に「一々の微塵の中に、各々仏あり」とあります。

空の現象するところ

無門関第四十七則に「兜率(とそつ)三関(さんかん)」という難関なことで有名な公案があります。この則の本文に中に「四大分離して何れの処に向かってか去る」つまり「死んだらどこに行くか」と問うています。私は、55歳の時に、「二十歳の娘(真理子)が飲酒運転の車に殺されるという理不尽な突然死」と遭遇しました。このことは、まさに「兜率三関」と同じ公案に取り組まざるをえなくなったことに相当します。 二十歳の娘を亡くした後に、「娘は死んでどこに逝ったのだろう。」と娘のことを思いながら念仏していると、次のような事実に行き当たりました。それは、私が結婚する前には、娘はこの世にはいなかった。そして、昭和五十四年に二女として生まれてきて、私たちと二十年間一緒に暮し、死んでいった。だから、今はこの世の中のどこにもいないということです。つまり、いのちが無(空とも言える)から出てきて実在(色とも言える)となり、実在(色)から無(空)へと帰っていったことになります。般若心経には、有名な語句「色即是空 空即是色」があります。並べかえて「空即是色 色即是空」とすれば、空→色→空と展開していることがはっきりと受け止めることができました。娘は「空」に帰っていったのでした。私たちは「空」から来て「色」となり、そして「色」からまた「空」となる存在であることがよくわかりました。だから、「娘からの公案」の見解は、「死んだら、空に帰る」ということだと確信いたしました。

   この見解は、「香厳撃竹大悟の因縁」と関連があるように考えています。 その話は、「潙山の弟子で香厳知閑という大変に聡明なお坊さんがいました。ある日、お師匠さまの潙山から、「汝は聡明博解であるが父母未生以前の本来の面目である自分自身の一句を持ってきなさい」と言われます。父母未生以前とは、自分の父母が生まれる前の自分の絶対的価値観として心性を表してみよということです。香厳は思案を重ねますが、みなどこかで学んだ祖師の言葉や経典類などばかりで自分自身の一句というものが、どうしても出てきません。ついに「画餅飢えを癒さず(絵に描いた餅では飢えを癒すことはできない)」と言って、学んだ本や経典類の一切を焼いてしまったのです。それから慧中国師の庵に引きこもって墓守りとして作務三味の修行をしておりました。何年か経った或る日掃除をしていると、偶然、箒ではいた瓦のかけらが竹に当たり、その音を聞いて香厳禅師はハッと悟られた。」というものです。 香厳禅師は、何を悟られたのでしょうか。それは、この竹から発せられた音で、「沈黙(空といえる)を悟られた」のです。音が発生するのは、「沈黙」があるから発生するのです。沈黙→音→沈黙と展開しています。「沈黙」の世界は、「無」または「空」です。そこから「声・音」が生ずるのです。「空」こそが全てです。命あるものも「空」から生まれてきます。だから、父母未生以前の本来の面目である自分自身は、「空」であるのです。 

      これはまた、松尾芭蕉の悟りの句「古池や蛙飛び込む水の音」における音とも関係があります。山田無文老師の法話「青苔未生」には、芭蕉の悟りの様子が、次のように書かれています。 「五月晴れのある一日、仏頂禅師はこころよい薫風に誘われて、深川の芭蕉庵を訪れた。庵の主も久しく長雨に閉じこめられていたが、近ごろ心境頓(とみ)に開けて、ぜひ禅師に相見(しょうけん)もし参禅もしたいと思っていたやさきであった。禅師の足音を聞きつけると、すぐ表へとび出し、そして二人は顔を見合わせてニッコリ笑った。 「さては何かつかんだナ」、禅師はじきに見てとった。そしてやにわに商量が始まった。商量というのは、もとは商売上の駆(か)け引きのことであるが、禅僧の心と心とのやりとり、つまり問答のことを古来商量という。 まず禅師が口をきった。 「近日何の得る処ぞ」、どうだい、ボロいことをしたようじゃないか。 「雨過ぎて青苔洗う」、と芭蕉が答えた。何とこの苔の青いこと、雨後はまた格別で、指をふれたら手が染まりそうです。 「如何(いか)なるか青苔未生(みレよう)以前の仏法」、青苔の生えない先はどうじや。禅師はするどいメスを突き刺された。 禅宗ではよく「父母未生以前、本来の面目」ということをいう。天地未分以前の消息(しようそく)、神さまが天地を創造されない以前の光景はどうかというのである。 言葉を換(か)えていえば、天とも地とも我とも他とも、善とも悪とも、意識が分裂されない以前、一念の念も未だ生じない前はどうかというのである。もう一度言葉を換えていえば、宇宙の根源、意識の実体は何かということである。 それは無だ、空だ、何にもないところだ、などと早合点(がつてん)され勝ちなところ。古来そのような虚無観を“黒闇(こくあん)の鬼窟”といい、宗門で最も警戒される難治の禅病である。 「如何なるか青苔未生以前の仏法」、禅師のメスは今やまさにその病の極処(きよくしよ)をえぐろうとされるのである。 答は直ちに反撥した。「蛙飛(かわず)び込む水のおと」。ホラ蛙が飛びこみましたよ、あの音。そのときドボンと蛙が飛びこんだにちがいない。一面の静寂を破って池の中へ飛びこんだ蛙の響き、これこそ天地未分以前の好消息、芭蕉に感得された青苔未生以前の仏法であった。 「珍重(ちんちょう)珍重」まず、そんなもんかい、禅師は快く肯(うけが)って印可を与えられ、そして“一心法界、法界一心”の八字の書が、持っておられた如意とともに授けられたということである。 芭蕉のあの幽玄な句境はここに打開され、その俳道はここに樹立されたといってもよいであろう。 その夜、芭蕉はこの未完成の十二字「蛙飛(かわず)び込む水のおと」を門弟(もんてい)たちに示し、これを一句にまとめることを提案した。杉風(さんぷう)は「宵闇や」と冠(かむ)らせ、嵐雪は「淋(さび)しさや」とおき、「山吹や」と其角がそえてみたが、どれも芭蕉の気にいらなかった。そして、わしならこう置こうと、 古池や蛙飛び込む水のおと の一句が、みなの前に示されたといい伝えられる。」 (山田無文著「心に花を」春秋社 昭和三十九年)

      抜隊得勝禅師(1327~1387)は、『塩山仮名法語』の冒頭で、「空」ついて、次のように述べられています。 「輪廻の苦を免れんと思はば、直に成仏の道を知るべし。成仏の道とは、自心を悟る是なり。自心といふは、父母もいまだ生まれず、わが身もいまだなかりしさきよりして、今に至るまで移り変わることなくして、一切衆生の本性なる故に、是れを本来の面目と云へり。此の心もとより清浄にして、此の身生まるる時も、生まるる相もなく、此の身は滅すれども、死する相もなし。又男女の相にもあらず、善悪の色もなし、比喩も及ばざるゆえに、是れを仏性といへり。しかも万の念、此の自性の中よりおこること、大海より波のたつがごとし、鏡に影のうつるに似たり。 此の故に自心を悟らんと思はば、まつ念の起こる源を見るべし。ただ寝ても醒めても、立ち居につけても、自心これ何物ぞと深くうたがいて、悟りたきのぞみの深きを、修行とも、工夫とも、志とも、道心とも名けたり。又かやうに自心をうたがひて居たるを、坐禅とは云へり。」 これから、抜隊得勝禅師は、「空」を「仏性」または「自性」と言われている。 「わが身を見るに幻の如く、水の泡、影の如し。自ら心を見るに虚空の如し、形もなし。此の中に、耳に声を聞き、響きを知る主は、さてこれ何者ぞ。 ただ今目に色を見、耳に声を聞き、手を挙げ足を動かす主は、是れ何者ぞと見るに、是は皆自心のわざと心得たり。」 耳に声を聞く者は、「自心」であるが、それは「空」から生じたものであると言える。

    また、一休宗純禅師(1394~1481)には修行中の次の歌があります。 「本来の面目坊が立ち姿、一目見るより恋とこそなれ」、 「我のみか釈迦も達磨も阿羅漢も此の君ゆえに身をやつしたれ」 この歌の中の「本来の面目坊」とは、公案「父母未生以前の本来の面目如何」にある「本来の面目」から来ています。「本来の面目」とは、「大いなるもの」即ち「阿弥陀仏」です。「本来の面目」に触れたい会いたい一心で高次の恋(霊恋)をしている様子を歌ったものである。それは、「大いなるもの」に接触しないと、自己の霊性(仏性)が目覚めないからであると考えられます。そして悟りの歌として、次のものがあります。 「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、生まれぬ先の父ぞ恋しき」 この歌の意について、辨栄上人は、「我らは今、人間に生まれ出しも、我が心霊が何れより来たかということも知らない。また、死して何れに趣向すべきやもしらず、闇より闇にさまよう凡夫である。しかるに先覚者なる釈尊の教えたる経文を読みて初めて我らは、無明を父とし、煩悩を母として生を受けたるもの、その先の迷い出ぬ昔の本覚真如の都に自性天真如来という真の父の在ますと聞きてより心の奥底に潜める霊が喚起されてしきりに天真のミオヤが恋しくなるということである。」(人生の帰趣、451頁)  「闇の夜」とは、「空」のことである。「空」の中にすべてがある。「鳴かぬ烏の声聞けば」というところは、その「空」の中では鳥は鳴かないし、声は聞こえないが、その「空」の中に自分を産んでくれた父母が確かに居たんだと、その「空」がつまり「闇の夜」が領解できたというところが、声を聞いたというところである。 さらに、禅僧の良寛和尚(1757~1831)にも天真のミオヤ・阿弥陀仏について、つぎのような道詠があります。 草の庵ねてもさめても申すこと 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 不可思議の弥陀の誓いのなかりせば 何をこの世の思い出とはせむ 我ながら嬉しくもあるか弥陀仏の いますみ国に行くと思えば 釈尊は、三十五歳の十二月八日未明、暁の明星(金星)の光を見て、宇宙の大法である縁起の法を発見せられました。 考えてみるに、光が生ずるためには、闇がある。闇があるからこそ金星の光が生じます。闇とは、「空」のことである。「空」の中にすべてがある。縁起とは、「空」の中に生ずる現象のことである。 この縁起の法こそが、『大いなるもの』・如来であるといえます。釈尊は、光(金星の光)に如来を感じられていたのです。 この縁起の法は釈尊の出世に関係なく永遠の過去から未来まで、宇宙に存在するあらゆる物を貫き、働いています。たまたま釈尊によって発見されたから仏法と名づけるのであって、それは物理学の万有引力の法則のごとく、いつどこで、だれでも認めなければならないものなのです。さらに釈尊がこの偉大なる悟りをおひらきになったとき、まず口をついて叫ばれたことは、「奇なる哉、奇なる哉、一切衆生悉く皆如来の智慧徳相を具有す」というお言葉であったと言います。また「一仏成道して法界を観見すれば、草木国土悉く皆成仏す」というお言葉であったと申します。大自覚にはいられた釈尊が、自ら反省してみられたとき、その自覚の内容である智慧と慈悲は、修行してえられたものではなく、万人がひとしく、生れながらにして心中に内存しておるもの・霊性であったことに気づかれて、驚喜されたのです。 仏釈尊が「草木国土悉皆成仏」と言われたように、あらゆるものが如来の徳を備えているのであるから、あらゆるものの中に「大いなるもの」を見ることができると言えます。謙虚な自然科学者は自然法則、宇宙の起源や遺伝子の構造の中に「大いなるもの」を見ています。他方、宗教者は、光、音、風、水、雪、月、花、など自然の中に「大いなるもの」を見ています。例えば、同じ水であるが、水のことを日本語では水といい、英語ではウォーター(water)、ドイツ語ではバッサー(Wasser)、ラテン語でアクア(aqua)と言うように、『大いなるもの』につき、様々な呼び名があります。それは、「いのちの根源」、「大いなるいのち」、「見えないいのち」、「サムシング・グレート」、「宇宙の真理」、「阿弥陀仏」、などである。さらにギリシャ哲学の完成者たるプロティノス(Plotinos)は、「一者(to hen)」と呼び、東洋では、老子は、「道」といい、また荘子は「自然」という言葉を用いている。禅の世界では、「本来の面目」とか臨済禅師は、「一無位の真人」、鈴木大拙は、「霊性」、と呼んでいます。

   華厳経の中に「一々の微塵の中に、各々仏あり」とあります。次の金子みすずの詩は、そのことを分かり易く詠んでいます。 はちと神さま(金子みすず作詞) はちはお花のなかに,お花はお庭のなかに,  お庭は土塀のなかに, 土塀は町のなかに,町は日本のなかに, 日本は世界のなかに,世界は神さまのなかに。 そうして,そうして, 神さまは小ちゃなはちのなかに。 この詩は、超越(世界(はちはその中に一つ)は神様の中に)と内在(神さまは小ちゃなはちのなかに)を述べています。神様の中に私がおり、私の中に神様がいるという。超越と内在が一つになって働いてくること、外から働きかける者が内から湧き出てくる。私のこころがなくなったとき(空になったとき)に、滾々(こんこん)と私のこころの奥から泉の如く湧き出てくる者がある。  仏通寺で、共に藤井虎山老師の下で参禅していた友人・岡本貞雄氏から、真理子の突然死に対するお悔やみの手紙の中で、 「会者定離 さわさりながら 窓の雪」 の句を頂きました。この下の句の「窓の雪」が、大切なポイントであると語っていましたが、そのことは、すぐには理解できませんでした。亡き子の7回忌の時に、供養のために「交通安全観音」像(高さ3.5m)境内に建立し、昨年は17回忌をしました。今回その観音像を拝んで、私も拙い句を作ってみました。 「無常の風 教えられたり 白い雲」

引用参考文献 1)中山正和著:悟りの構造-正法眼蔵の解明-、産業能率大学出版部、1985年 2)河波 昌著:形相と空、春風社、2003年 3)S.W.ホーキング著:ホーキング宇宙を語る~ビッグバンからブラックホールまで  早川書房、1989年 4)山田無文著「心に花を」春秋社、1964年

いのちは誰のものか

「僧の来参するを見て呵斥す。僧曰く、「某、特に生死事大、無常迅速なるが為にして来る」と。師、罵りて曰く、「慧玄が会裏に生死無し」と。便ち打ちておい出す。 【正法山六祖伝、関山慧玄章】   開山様は、「慧玄が会裏に生死無し」と言われました。だから、常に「生死無きいのち」つまり「永遠のいのち」あるいは「見えないいのち」に生きておられたと考えます。 殆どの人が「命は誰のものか」という点に関して「命とは自分のものだ」と思っています。そのことは余りにも白明のことで、それゆえにそのことについて改めて真剣に問うこともありません。 実際、私たち自身そのように思っているし、社会全体も、そして肝心の教育や宗教の世界においても同様であります。したがって生命とは自分のものであるから、その自分の生命を自分勝手に生きればよい、ということになります。最近、援助交際という言葉も流行語になっていますが、本人たちもそうですが、またそれを糾す側もそれが間違いであるとして示す恨拠を明らかにすることもできず、結局なりゆきまかせで、人間としての守るべき道徳もますます崩壊してゆくばかりです。  確かに自分を離れて自分の生命があるわけではないのでそのように考えてしまうのも、一面、無埋からぬところもないとはいえます。しかしながらまさにそこに致命的とも云える盲点があるのです。そしてそのことが人間を根底から駄目にしているともいえます。 そして人間は自らがその背景に「生死なきいのち」を前提している限りにおいて、人間の行為は正しく作動するのでありますが、この「生死なきいのち」、「永遠のいのち」、「仏」あるいは「神」が消えてしまう時、人間はその自制力を失い、その行為は勝手気儘になり放逸になってゆくのです。そして人間は生命の(尊さ)の由来する根源(「生死なきいのち」)からみずからを遮断し、そして生命そのものの本質とその意義を見失ってゆくのです。その結果、生命とは自分のもの-自分勝手にできるもの、といった軽薄な思想をもつようになるのです。そしてそれは何よりも教育界において極めて顕著にみられるのです。今や教育とは単なる技術でしかなくなり、受験勉強の手段になり果て、真の生命の尊さに触れてゆくことは殆どありません。教育の最も根幹のところで肝心なものが欠けているとしか云いようがありません。 およそ宗教的内容のない教育は、そして思想、文化等も同様に軽薄たらざるをえません。命そのものについても「命とは自分のもの」と考えることによって生命そのものへの深い洞察は失われ、空しいものとなっているのが現状であります。以下、いのちについて科学的視点を交えて考察いたします。

「葉っぱのフレディ」の喜びと苦しみそして目覚め

山陰中央新報 平成30年5月28日 「教えの庭から」

        「葉っぱのフレディ」の目覚め

出雲市斐川町・仁照寺住職 江角弘道

絵本「葉っぱのフレディ~いのちの旅~」は、アメリカの哲学者レオ・バスカリーアが生涯でただ一冊書いた童話です。絵本の内容は,擬人化した大きな木にある葉っぱ(フレディと呼ぶ)の一生の喜びや悲しみ、そして苦悩と“いのち”への目覚めを描いています。子どもに「死」を考えさせる絵本ですが、大人にも好評でベストセラーになりました。医師・日野原重明先生は、この絵本をミュージカル化されました。

春に大きな木の太い枝に生まれたフレディは大きく育ち、仲間の葉っぱ達と幸せに生きてきましたが、秋が来て紅葉し、やがて散って死んでいくことに大きく悩みます。「こわいよう、ぼくも死ぬの?」とおびえるフレディに、友人の尊敬できる兄のような存在であるダニエルは教えました。「その通りさ、でも世界は変化しつづけているんだ。変化しないものはひとつもないんだよ。死ぬというのも、変わることのひとつなんだ。だれでもいつかは死ぬ。でも“いのち”は永遠に生きている」 そして、秋の夕暮れ金色の光の中をダニエルは、満足そうな微笑みを浮かべ枝を離れていきました。フレディは、初雪の日に枝から離れ、地面に落ちました。その時、ダニエルから聞いた 「“いのち”というのは永遠に生きているのだ」という言葉を思い出しました。絵本の最後に作者は、「“いのち”は土や根や木の中の目に見えないところで、新しい葉っぱを生み出そうと準備をしています。大自然の設計図は,寸分の狂いもなく“いのち”を変化させ続けているのです」と結んでいます。

絵本の中では、“いのち”には、「死ぬいのち」ともう一つ「永遠に生きているいのち」の二種あることが示唆されていると考えられます。ここで言う「永遠に生きているいのち」は、「大自然のいのち」と言えるでしょう。

「大自然のいのち」は、何十億年以上の時をかけて人間を産み出してきました。仏教では、眼耳鼻舌身意という六つの感覚器官は、「六根」と言われています。人は眼があって太陽を見ていると思っていますが、何億年にわたる太陽の照射の中で,次第に視覚細胞が作られてきました。植物は光に向かって成長します。これは植物の中に“眼なるもの”があるということになります。人間にも特に光に対して敏感な細胞が発達してきます。やがて視覚をつかさどる細胞が出来てきます。そうして眼が出来てきました。眼は、太陽のおかげでできています。だから眼の親様は太陽です。また耳は、空気のおかげで出来ています。音は空気の振動(音波)です。空気があるから音波が生じ,その音波が耳の鼓膜を振動させた時、それを音と感ずる細胞が出来てきます。だから耳の親様は空気です。同じように鼻・舌・身も大自然のおかげで、それらが発達し出来上がっています。作者が言うように、大自然の設計図は、このように“いのち”を変化させ続けています。さらに「意」つまり「心」は、このような「大自然のいのち」のおかげに目覚めるため、仏教的には、仏性(仏心)に目覚めるためにあると言えるのではないでしょうか。「大自然のいのち」は、人間が仏心に目覚めることを念じていると考えられます。

フレディは、永遠に生きている大自然の“いのち”に目覚めたからこそ、大きな安心の中で目を閉じ、ねむりに入れたのです。

 

電子レンジがごはんを温めるように・・・念仏は私たちを生かす

(平成30年4月10日 山陰中央新報「読者ふれあいページ」記事です。)

電子レンジと念仏     仁照寺住職 江角弘道

最近は、ほとんどの家庭で電子レンジが使用されています。とても便利なもので、冷たいご飯を電子レンジに入れて「チン」すれば、2~3分で温かいご飯になります。でも、なぜご飯が温かくなるかの原理は、知らずに使っている人が多いと思います。実は、この物理的な現象と念仏の間には不思議な対応があります。

電子レンジの原理を理解するには、温度、電磁波、水の構造、そして共振現象について知っておく必要があります。

まず、温度について、例えば、36℃の体温をここに出して下さいといっても、見えないから実体として出せませんが、確かに体温はあります。物理的に温度とは「その物質を構成している分子の平均的な運動の激しさを表す指標」です。私たちの身体は、約70%が水分で構成されていることが分かっています。だから体温とは身体の中にある莫大な数の水の分子が運動していて、その運動の激しさが36℃という温度で表せるわけです。植物も動物もその主な構成要素は水です。ご飯もほとんどが水の分子です。だから冷たいご飯が温かくなるということは、ご飯の中の水の分子の運動が激しくなるということです。

また、誰もが一度は乗ったことがある ブランコについて実験してみると、ブランコは一定の間隔で力を加えると、振れる量が大きくなります。これはブランコが持つ固有の振動数で共振(共鳴)するからです。食品の中の水が持つ固有の振動数で共振すれば、水の分子が激しく動き、食品の温度が高くなります。

電子レンジという日本語の名前は、あまり正しくありません。英語で電子レンジは、マイクロウェーブオーブンといいます。マイクロウェーブ(マイクロ波)というのは振動数が0.2~100ギガヘルツ(GHz)帯の電磁波のことです。水の固有振動数は、2.45GHzなので、電子レンジは、これと同じ振動数のマイクロ波を照射して、水を激しく共振させ、食品の温度を上げる装置です。

念仏をすることは、水にマイクロ波を照射することと対応しているようです。まず、水が固有振動数を持っていることは、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」、つまり私たちがすべて仏性を持っていることに相当すると考えられます。私たちは、仏性を持っていながら、煩悩の殻の中にいると考えられます。あたかも鶏の卵のごとくです。これをあたためて孵化すれば、ひよこが現れます。仏性を開発するには、卵が孵化するように、一心不乱に念仏をすると、仏性が現れ始めます。仏性があらわれるときに煩悩はその質を変じ、従来の悪き心も善質に変化します。渋柿が日光の照射によって、甘い干し柿となるような例と似ています。

マイクロ波を照射すると冷たいご飯が温かいご飯に変ずるように、不断念仏を続けるとやがて私たちの中に仏性が現れてきます。念仏三昧になると必ず仏性が開けて来て、以前の煩悩に覆われていた心が、良き心根へと変身して行きます。念仏をする前に見ていた自然は、念仏した後に見ると自然の“いのち”が輝いて見えてくるのです。つまり、私たちは念仏することによって育てられ、仏性に目覚めてくるのです。なんとも有り難いことではないでしょうか。

 

 

リンゴと明けの明星

ニュートンもお釈迦様もひとつのことを思索・追究して、ある時、あるきっかけでそれが大爆発したのでした。

物理学者のアイザック・ニュートンは庭仕事をしている際に、リンゴの木からリンゴが落ちるのを見て、重力に関する最初の発想を得ました。そして、宇宙の大法である万有引力の法則(重力の法則)を発見したのです。しかし、考えてみると、ニュートンが生まれる前から、リンゴの木からリンゴは落ちていました。つまり、万有引力の法則は、ニュートンの出生とは、関係なく永遠の過去から未来まで、宇宙に存在するあらゆる物を貫き、働いています。ニュートンはリンゴとの縁でそのことに気づきました。通常の物体の動きや天体の動きなどはニュートン力学で説明でき、産業機械や乗り物などの基本的なところは、ニュートン力学によって作られています。

お釈迦さまは、35歳のある日ブッダガヤという町のはずれの菩提樹の下で、静かに坐禅を組み、ついに12月8日の未明、空に美しく輝く明けの明星(金星)をご覧になり、宇宙の大法である縁起の法をお悟りなったのです。この金星もお釈迦様のお生まれになる以前から輝いていました。だから、縁起の法も、お釈迦様誕生以前から宇宙に存在し、全宇宙を貫いて働き続けています。

縁起の法は、物理学の万有引力の法則と同じく、いつどこでも、だれでも認めなければならない宇宙の大法です。さらにお釈迦さまがこの偉大なる悟りをお開きになったとき、まず口をついて叫ばれたことは、「なんと不思議なことか、人は皆仏様の智慧と徳相を具有している」というお言葉であったと言います。大法が存在するという自覚にはいられたお釈迦様が、自ら反省してみられたとき、その自覚の内容である智慧と慈悲は、修行してえられたものではなく、万人がひとしく、生れながらにして心中に内存しておるもの・霊性(仏性)であったことに気づかれて、驚喜されたのです。

理科実験から仏様の存在を知る

平成29年10月30日 山陰中央新聞読者のページの記事です。

仏様に出会う

出雲市斐川町・仁照寺住職  江角弘道

日本では、仏様になられたご先祖や故人の霊が、お盆の時期に帰って来られると考えられていて、家族や親戚がお仏壇の前に集まり、仏様をお迎えし、供養をします。通常、その仏様は、私たちの目には見えないので、本当に帰っていらっしゃるのかわかりません。しかしながら、仏様は肉眼では見えませんが、心の目を開くと、仏様に出会うことが出来るのです。そのことを分かりやすく、携帯電話を使った簡単な理科実験で説明したいと思います。

ご存知のように、携帯電話は、ここにいない人とも話すことができます。つまり、見えない人とも話すことができます。それは、目に見えない電波・正確には電磁波がこの空間に広がってあるからです。電磁波は、見えないけれどもあります。世の中には、空気など目に見えないものでもあっても、この空間に広がっています。

今、理科実験として、この私の携帯電話をアルミホイルで、包んでみます。そして、他の人から電話をしてもらいます。そうすると、私の携帯電話の受信音はしません。つまり、私の携帯電話は、受信できなくなってしまいました。これは、電磁波がアルミホイルに吸収されて、その中の携帯電話まで届かないということです。これは、車の運転中にトンネルに入ると、カーラジオが聞こえなくなるのと同じ現象なのです。

仏様は、この電磁波とよく似ています。お経には、「仏様は、この全宇宙に充満していて、広くすべての命あるものの前に現れている」(華厳経)と書いてあります。

この空間に電磁波が拡がっているように、この空間には仏様が溢れているということですが、しかし、私たちには、仏様は見えません。それは何故かというと、通常私たちは、煩悩だらけで生活しているからです。携帯電話をアルミホイルで包んだら受信できなくなったように、私たちは煩悩に包まれているから仏様が見えません。煩悩を捨てると仏様の声が聞こえ、姿が見えてきます。白隠禅師(1686~1969)が「衆生本来仏なり」と言われたように、私たちはみな仏様の心を持っています。それは煩悩の真下にあるのです。

そして、「仏様は、いつも離れずあなたの真正面にいらっしゃって、母の子をおもうごとくまします」とお経にあるように、慈悲の面を向けて、私たちを見つめていらっしゃいます。さらに、「仏様は、正法の雨(甘露の法雨)降らして、諸々の煩悩を除滅する」(華厳経)とあります。

電磁波にもその強度が強い場所と弱い場所があるように、「見えないいのち」つまり仏様にも良く見えたり聞こえたりする強度の強い場所があるようです。それは、お仏壇の前です。つまり、そこがパワースポットになっています。

だから、お仏壇の前に座って、お経を読む、あるいはお念仏をする、または坐禅をすると、あなたの心の中に、仏様の声が聞こえたり、姿が思い浮かぶのです。毎日、朝夕に続けることが大切なことです。

マッチ売りの少女の微笑み

( 平成30年2月19日 山陰中央新報 読者ふれあいページ記事です)

「マッチ売りの少女」の微笑み

仁照寺住職 江角弘道

童話は、子供のためにある話だとこれまで思っていました。しかし、その童話を今読み返してみると、大人への深いメッセージが含くまれていることがわかります。

アンデルセンの童話「マッチ売りの少女」の後半の部分で、マッチを擦りながら暖をとっていた少女が、夜空に流れ星を見て、この世でたった一人、少女にやさしくしてくれたおばあちゃんを思い出す場面があります。そこで、またマッチを擦るとおばあちゃんが、夜空に現れてきました。少女は、マッチの束を一度に擦り、おばあちゃんの姿を長くひきとめようとしました。マッチは目もくらむような光を放ち、あたりを昼よりも明るくしました。そこで、少女は、おばあちゃんの腕に抱きあげられ、光と喜びに包まれて、空高く昇ってゆくのです。その翌日、少女は町の片隅で、ほほは赤く、口元には微笑みを浮かべて、死んでいました。それを見た人々は、「この子はこうして、あたたまろうとしたのだね」と言い合います。作者は、「少女がどんなに美しいものを見たか、おばあちゃんと二人、どんなにすばらしい光に包まれて、新年の喜びを迎えたのか、だれにも分かりはしなかったのです」と結んでいます。

この童話の中で、少女がロ元に「微笑みを浮かべて」死んでいる様子が描かれています。あんなに貧しい不幸な人生だったと思われるにもかかわらず、なぜ、微笑んで死ねたのでしょうか。どんな人生をおくれたら、最後に微笑んで死を迎えることができるのでしょうか。この童話から考えさせられたことは、「ひかりに包まれる世界」のあることです。やさしかったおばあちゃんのいる「ひかりの世界」を、少女は心の中にはっきりと見て、そこへ帰って行ったのです。

普通の人は、日常死のことを考えて生きてはいませんが、例えば、ターミナル期にあるがん患者の場合を考えてみると、死が目前です。がん患者が点滴で日々を送っていることは、少女がマッチで暖まりながら生き延びていることと対応しているように思えます。この少女のように微笑んで死んでゆくことができるがん患者は、「ひかりの世界」を心の中に持っていることでしょう。眼に見えない「ひかりの世界」のあることに目覚めていない患者の場合、死は絶望となってゆくでしょう。

さらに考えてみるならば、がん患者だけでなく、私たち自身が、自我の欲望だけで生きているとしたら、少女が売り物であるマッチで暖まりながら生き延びていることと対応できるようです。私たちが、少女のように「微笑みを浮かべて」死んでゆくためには、「ひかりの世界」のあることに目覚めることが、重要なことになります。仏教では、「ひかりの世界」のことを、「浄土」あるいは「無量光明土」といいます。「念ずれば花ひらく」で知られる詩人・坂村真民師の詩に、「安らぎ」があります。

安らぎ(坂村真民 作詞)

帰って行く処がわかっているからあんないい顔になるのだ。

あんないい目になるのだ。あんな安らぎの姿になるのだ。

「ひかりの世界」は、煩悩の真下にあり、仏様を念ずれば斯(こ)の光に遇(あ)うことができます。微笑んで死んだ少女は、おばあちゃんを念ずることで、斯の光に遇ったのです。