報道関係

2009年(平成21年)3月19日(木曜日) 毎日新聞
 犯罪や事故の加害者は、罪をどう償うべきなのか。加害者が懲役を終えた後も償いが見えない状況に不信感を募らせる被害者の思いと、受刑者を向き合わせる矯正教育が、一部の刑務所で始まっている。被害者の遺品展「生命のメッセージ展」を通じて受刑者に命の重さを伝える現場を取材してきて、この新しい試みが全国の刑務所で広がってほしいと願っている。
 
交通事故や犯罪で命を落とした被害者約130人の等身大のオブジェや遺品を展示する「メッセージ展」は01年に東京都で始まり、既に全国50カ所以上で開かれている。私は千葉、島根、大阪などの会場に足を運んできた。肉親を理不尽に奪われた痛みを抱えながら自分の手でオブジェを作り、来場者に命の大切さを訴える遺族の姿にひかれたからだ。協力して会場を準備し、時には笑い合い、癒やしの場にもなっていた。
 「償い」に対する遺族の不信感にも気づいた。メッセージ展の発案者、鈴木共子さん(59)=神奈川県座間市=の長男零(れい)さん(当時19歳)は00年4月、飲酒・無免許の男(当時30歳)の車にはねられて亡くなった。男は業務上過失致死罪などに問われ、懲役5年6月が確定。懲役を終えると鈴木さん宅を訪れて謝罪し、「1カ月に1度は連絡する」と話した。だが連絡は途絶えた。「刑務所の矯正教育って何なの」。裏切られた気持ちが募ったという。
 加害者にとっての償いとは何か。昨年3月に矯正施設で初めてのメッセージ展が実現した川越少年刑務所(埼玉県川越市)。殺人や強盗、傷害致死などの罪が確定した17〜26歳の受刑者が収容されており、参加した300人の中には体を震わせて涙を流す姿もあった。約1週間後、鈴木さんに「天国への手紙」と題した受刑者の感想文が届き、その一つには「もう逃げません。私が今まで逃げてきた以上のはるかな苦しみや悲しみを背負ったあなた方や家族がいることに気づいたから」と書いてあった。
 男性は歩いていたお年寄りの女性を前方不注意で車ではねて死なせた。「怖くて会場に入りたくなかった」が、入り口で会釈する遺族を見て思い直した。自分の腰ほどの背丈の子どものオブジェに衝撃を受け、ピンク色の小さな長靴に両親の悲痛を感じたという。男性は服役前、被害者の女性の遺族から「交通事故をなくすために力を貸してほしい」と言われており、「加害者としてできることをしたい。どういう状況で事故が起きるかなどを伝える活動ができたら」と話した。
 法務省矯正局は01年度、被害者団体や研究者らが被害者の実態を伝える「ゲストスピーカー制度」を一部の刑務所で導入した。04年度には被害者遺族を交えた研究会を設けており、「被害者の生の声を受刑者に届けよう」という動きが加速している。06年度には刑事施設・受刑者処遇法が施行され、被害者の視点を取り入れた矯正教育が初めて法律に盛り込まれた。
 市原刑務所では毎月、被害者遺族と受刑者を交えたグループワークを実施。受刑者が被害者への手紙を書き、不快に感じる表現などを遺族が指摘している。島根県浜田市にある、民間が運営に参加するPFI刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」でも、受刑者同士が犯した罪や被害者への思いを語り合う予定だ。
 こうした取り組みは犯罪被害者支援という世論の高まりを受けて始まったが、当初は門は閉ざされていた。鈴木さんはメッセージ展を始めた翌02年から市原刑務所に展示の開催を求めてきたが、断られてきたという。鈴木さんは「昔は刑務所に入ることもできなかったのに、今は飛躍的に変わった。加害者との接触を希望する遺族には道を開かないといけない」と話す。
 メッセージ展の会場で聞いた言葉を思い出す。「本当に来てほしいのは加害者なんだけどね」という、大学生の娘(当時20歳)を飲酒運転の車に奪われた母親(61)のつぶやきだ。歳月が流れても、遺族の心には「加害者」の存在が重くのしかかっている。
 「加害者として活動したい」と話した市原刑務所の男性は出所後、就職など多くの壁に直面し、思いを実現するのは難しいかもしれない。だが、少なくとも自分の罪と向き合い、新しい生き方を考え続けると信じたい。矯正教育の取り組みが、命の重さをかみしめ、心からの償いにつなげる場であってほしいと思う。
 

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