報道関係

2010年(平成22年)1月20日(水曜日) 山陰中央新報
 竹取物語は、わが国の古典文学の中で、子供たちに最も親しまれている物語の一つであります。その概略を次に示します。
 今は昔、竹取の翁(おきな)と呼ばれるお爺(じい)さんが、山に竹を切りに行き光り輝く竹を見つけた。竹の中をのぞくと3寸ばかりの美しい娘がいたので、お爺さんはその娘を家に連れて帰り育てることにした。やがて娘は美しく成長し、「なよ竹のかぐや姫」と名付けられた。かぐや姫の美しさは、周囲に広まり男たちが毎日のようにのぞきに来た。噂(うわさ)を聞きつけた5人の貴公子も求婚に訪れるが、かぐや姫は無理難題を言って求婚を断る。この噂は帝(みかど)の耳にも届き、帝も求婚に来るが断った。

 それから3年が過ぎたころ、かぐや姫は月を見ながら悲しい表情を浮かべるようになる。爺が聞くと、かぐや姫は「私は月の都の人間です。今月の15日に月から迎えが来ます。」と答える。爺は驚いて帝に相談し、帝は月の使者たちから、かぐや姫を守ろうと2千人の兵士をそろえる。
 15日の夜12時、空が真昼のように明るくなり、雲に乗った天人たちが地上に降りて来る。兵士たちの応戦はむなしく、かぐや姫は連れ去られ、輝く光の中を月へ帰っていった。かぐや姫が月に帰る際、お世話になった爺や帝に残していった「不死の薬」がある。帝はもらった不死の薬を、天に最も近い山で燃やすよう命じた。この山は後に「ふしの山」、つまり富士山(ふじの山)と名付けられる。
 物語でかぐや姫は、月の都へ帰っていきました。それはお爺さんにも手の届かない世界に行ったことになり、お爺さんにとっては、かぐや姫の「死」であります。
 平成11年12月26日に、20歳だった私の娘・真理子が、無謀な飲酒運転の車に衝突され即死しました。娘は、私の手の届かない世界にいってしまいました。私はお爺さんを自分自身と重ね、かぐや姫は亡き娘のようだと考え始めました。娘は今、手の届かない月の世界の住人になっています。
 かぐや姫の置き土産である「不死の薬」と何か、と考えたとき、それはまさしく「仏の教え」であると確信をしました。仏教は「いのちの教え」であり、それは「不死の薬」であります。私は亡き娘を思うとき、仏教の教えを深くいただくことができるのです。これはまさしく亡き娘からの「置き土産」です。
 空外記念館(雲南市加茂町)を創設された山本空外上人が深く帰依をされていたのは、山崎弁栄上人の高弟である田中木叉師は、その深い信仰の境地から数々の歌を残されました。その中に「青い稲葉はその中に白いお米の実るため、死ぬるからだはその中に死なぬいのちの育つため」という歌があります。
 この歌では、死なぬいのちを育てる「不死の薬」が仏教であることを歌ってあります。仏教は、死なない永遠のいのちの中にこの身があることを、悟らせていただく教えです。
 現代科学は、物質が宇宙の始まりのビッグバンの光から生成されたこと、さらに、35億年前に物質から極小の確率で生命体が生まれ、進化を遂げていって、人類が生まれて来たことを明らかにしています。
 かぐや姫は、光の中から出てきて、そして、光の中を月へ帰っています。この物語では、光が重要な役割を果たしています。私たちのいのちはさかのぼってみればビッグバンの光から生まれています。そしてまた生まれ故郷に帰って行きます。竹取物語の作者は、宇宙の真理ともいえる普遍的な光(光明=仏性=霊性ともいえる)のことを認識していたとも思えます。
 (空外記念館理事長、島根県立大短期大学部名誉教授)
 

報道関係へ戻る >>