報道関係

2009年(平成21年)12月26日(土曜日) 日本海新聞
 連載・特集

社会を見つめる いのち伝える
 鳥大3人娘飲酒運転犠牲から10年

 本紙では来年にかけて「社会をみつめる」のテーマで連載企画を組む。プロローグとなる第1弾は、10年前に飲酒運転の犠牲になった鳥大生3人の遺族の思いや活動を通して、飲酒運転の撲滅や犯罪被害者支援のあり方について考えてみたい。

 (5)母親の手記
事故に遭う数時間前に倉敷チボリ公園で撮った最後の写真。左から大谷知子さん、大庭三弥子さん、江角真理子さん=1999年12月25日夜(遺族提供)
一生懸命ブレーキ…

 鳥大生3人が飲酒運転の車に命を奪われた事故から26日で10年。事故後の2000年3月の刑事裁判で、母親たちが検察に提出した手記を抜粋して紹介したい。

自分の命に代えて

 〈今、私の目の前に事故のほんの数時間前に楽しいひとときを過ごした倉敷チボリ公園で撮った写真があります。そこに写った娘たちの笑顔が私に何か訴えているようで、涙があふれます。

 今年の正月は、三弥子が鳥取に行って初めて正月を福岡で迎えるはずでした。なのに、あんなことが起こるとは…。ちょっと早い三弥子との再会は、あまりにも突然で、あまりにも悲しいものでした。

 12月26日の午前4時すぎに『娘さんが事故に遭われました。すぐ来てください』とだけ連絡を受けて主人と鳥取に向かう途中、どんな状態でも生きていてさえくれればそれでいい。三弥子が『お母さん、助けて。痛い。早く来て。早く…』と叫んでいるような気がしてなりませんでした。

 病院で見た三弥子の姿、白い布の下には眠ったような顔。包帯を顔に巻いて、あごを打ったせいで顔が腫れていましたが、安らかな顔でした。目を覚ましてほしい、もう一度『お母さん』と呼んでほしい。あまりにも早すぎます。自分の命に代えても守ってやりたかった。

 三弥子の右足は膝から骨が飛び出していました。トンネルを抜けて緩やかなカーブを曲がると対向車が自分の車線に突進してきたのでびっくりして、大切な親友と自分を守るため一生懸命ブレーキを踏んだのです。その時の恐怖心はどのようなものか想像がつきませんが、代わってあげたかった。

 私たちは、娘と過ごす時間が必要だったのです。まだまだ伝えたいことがたくさんあるのです。一緒に買い物に行きたいのです。ウエディングドレスを着せてやりたいのです。そんな母親のごくごく平凡な夢は、被告の飲酒運転というとんでもない事故ですべてかなわぬものとなってしまいました〉(大庭由美子さん)

愛しくて涙が…

 〈知子が、娘が愛しくて愛しくて涙が止まりません。何のとりえはないけれど、やさしいやさしい娘でした。小学校の先生を目標とし、精いっぱい自分なりに努力をし、毎日を一生懸命生きていた娘でした。

 娘を守ってやれなかった遺(のこ)された親にできる精いっぱいのことは、もう二度と飲酒運転によって人の命が奪われることのないように、一人でも多くの命を救うことにあると思います。飲酒運転禁止、禁止と叫ばれながら、一向に減らないのはなぜか。それは誰もが、飲酒運転の真の怖さを分かっていないからではないのでしょうか。誰もが事故を起こしてから気がつくのでは遅すぎるのです〉(大谷浩子さん)

    ◆

 判決文は事実経過について「被告人は、酒気を帯びた状態で、指定最高速度を約30キロ超過した時速約80キロの高速度で進行して本件現場付近に至った」としている。

<(4)メッセージ展(12/25) (6)支えられて(12/27)>
 

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