報道関係

2009年(平成21年)12月22日(火曜日) 日本海新聞
 連載・特集

社会を見つめる いのち伝える
 鳥大3人娘飲酒運転犠牲から10年

 本紙では来年にかけて「社会をみつめる」のテーマで連載企画を組む。プロローグとなる第1弾は、10年前に飲酒運転の犠牲になった鳥大生3人の遺族の思いや活動を通して、飲酒運転の撲滅や犯罪被害者支援のあり方について考えてみたい。

 (1)事故発生
「あれから10年 どうしていますか」。事故現場で3人の冥福を祈る江角由利子さん=12月12日、鳥取県智頭町市瀬
「一番つらい場面…」

 1999年12月26日午前1時20分ごろ、鳥取県智頭町市瀬の国道53号。全長735メートルの智頭トンネルの鳥取方面出入り口付近で、鳥取市内に向かっていた鳥取大学農学部3年、大庭三弥子さん=当時(21)=が運転する軽乗用車に、対向してきた男性=当時(47)=の乗用車がセンターラインを越えて衝突した。

 軽乗用車には、大庭さんはじめフォークソング部の同級生の同大地域教育科学部3年、大谷知子さん=当時(21)=、同、江角真理子さん=当時(20)=ら計4人が乗っていた。岡山県倉敷市の遊園地でクリスマスのイルミネーションを見て帰る途中だった。運転席後部の1人は助かったが、3人が亡くなった。

すぐ来てください

 大庭さんの実家は福岡県前原市、大谷さんと江角さんの実家はともに島根県斐川町内にある。

 午前4時すぎ、それぞれの実家に事故を知らせる智頭署からの電話がかかってきた。

 「娘さんが事故に遭われたのですぐに来てください」。大谷知子さんの母親・浩子さん(53)はどういう状態なのか尋ねたが、署員は「とにかく来てください」と言うだけで、病院名を告げられた。

 広島市に単身赴任中の夫・静夫さん(60)に電話すると、「一人では行くな」と言われたので、高校3年生の長男を乗せて午前5時前、乗用車で出発した。

 家を出るころから雪が降り出し、夜が明けた日本海は荒れていた。泣きながら運転する浩子さんに、長男は「真っすぐ前を向いて」と励ました。

 鳥取市内に入ると、気が動転しているのと雪で景色が分からないため、道に迷った。午前11時前、ようやく県立中央病院(鳥取市江津)に着いた。病院のドアをくぐり、一足先に到着していた静夫さんと顔を合わせた。言葉は交わさなかったが、だめだったのだと悟った。

 知子さんは病室のベッドの上に寝かされていた。寝間着を着せられ手を組んだ状態。額にガーゼが当てられ前歯から血が出ていたが、顔や体はきれいだった。「今まで生きてきた中で一番つらい場面でした」と、浩子さんは涙を流しながら振り返る。

入院用品積んで

 江角真理子さん宅では、交通事故で入院したとの連絡を受け、父親・弘道さん(64)が入院用品を車に積んで一人で鳥取市に向かった。母親・由利子さん(61)は義母の看病のため、自宅に残った。出発した夫の携帯電話に午前5時前、「亡くなられました」と警察から連絡が入った。

 由利子さんは、あの時行かない決断をしたことに後悔の念があるという。「警察は家族にショックを与えないために少し軽めに告げるのでしょうが、その後の行動を判断するために正しい情報を伝えてほしい」と指摘する。

 大庭三弥子さんの両親の茂彌さん(62)、由美子さん(58)は山陽道、中国道、国道53号と走り続けた。テレビで事故のニュースを見た親類が携帯電話に連絡してきて、三弥子さんらが亡くなったことを知った。午前11時半ごろ、智頭署に到着。「加害者からアルコールが検出された」と伝えられ、がくぜんとした。

  (2)心的外傷(12/23)>
 

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