報道関係

2009年(平成21年)12月23日(水曜日) 日本海新聞
 連載・特集

社会を見つめる いのち伝える
 鳥大3人娘飲酒運転犠牲から10年

 本紙では来年にかけて「社会をみつめる」のテーマで連載企画を組む。プロローグとなる第1弾は、10年前に飲酒運転の犠牲になった鳥大生3人の遺族の思いや活動を通して、飲酒運転の撲滅や犯罪被害者支援のあり方について考えてみたい。

 (2)心的外傷
亡くなった「3人娘」の等身大のオブジェを前に講演する江角由利子さん=21日、島根県斐川町中央公民館
食べることに罪悪感

 軽乗用車を運転していた、鳥取大3年、大庭三弥子さんの父親・茂彌さん(62)は後に、加害者の乗用車の前を事故直前に走っていた車のドライバーから話を聞いた。

 自分の車を猛スピードで抜いていって「無謀な運転をするなあ」と思った約10分後、大庭さんの軽乗用車に衝突した現場に遭遇したという。

 加害者の乗用車はいったん左側の歩道に乗り上げ、慌ててハンドルを右に切って右側の側壁に接触した後、対向して来た大庭さんの車に正面衝突。大庭さんの車は30メートルほど押し戻されて転覆し、前部が原形をとどめないほど大破した。

 通報で救急隊が駆け付け、大庭さんと助手席の大谷知子さんを鳥取市内の病院へ、助手席後方に乗っていた江角真理子さん、その隣の座席だった同学年の女性を近くの智頭病院へ搬送した。

 江角さんの母親・由利子さん(61)は後に智頭病院に当時の状況を照会した。病院には午前2時1分に到着。江角さんはうめき声を上げ、手足をばたつかせていた。脳挫傷で治療途中から呼吸がなくなり、救命救急センターのある県立中央病院(鳥取市)に転送することになった。医師が救急車に同乗して同3時1分に出発。蘇生(そせい)措置を施したが3時半すぎ救急車の中で亡くなった。

家事、外出困難

 事故後、由利子さんは知り合いと顔を合わせるのがおっくうで外出できなくなった。買い物には地元の島根県斐川町を避け、隣の出雲市などへ出掛けた。友人からのおかずの差し入れが「ありがたかった」と振り返る。地元で買い物できるようになるまでに数カ月かかった。

 10月末に起きた島根県立大学1年、平岡都さん殺害・死体遺棄事件が他人ごととは思えないという。「家族は買い物などどうされているのでしょうか。犯罪被害者にとって家事支援は重要です」

 由利子さん、大谷知子さんの母親・浩子さん(53)とも事故後は食べることに罪悪感があったと話す。「この子はもう食べられないのに、自分が口に入れていいのだろうか」(由利子さん)「わが子を守ってやれなかったのに、自分はのうのうと生きている」(浩子さん)との思いにとらわれた。

心無い言葉に

 他人の心無い言葉に傷ついたこともある。由利子さんは町内の人が「若い女の子があんな時間に出歩いているから事故に遭う」と話していたと人づてに聞く。「娘たちが一生懸命生きていたことを知ってほしい」と、後に講演活動をするきっかけとなる。「あなたのところはもう二人子どもがいるのだから」との励ましに、「この子の代わりはいない」と思った。

 一方、浩子さんは、自宅に悔やみに来た知人の「知子さんは短い一生だったけど、幸せなことがいっぱい詰まった人生だったんだよね」の言葉に救われたという。

 由利子さんは事故の翌月、町外の図書館で娘を交通事故で亡くした新聞記者が交通事故の遺族たちから聞き書きした「遺された親たち」を目にする。全6冊を借りて読み、同じ境遇の人同士で苦しみを分かち合う大切さを感じた。

<(1)事故発生(12/22) (3)厳罰化(12/24)>
 

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