空の現象するところ

無門関第四十七則に「兜率(とそつ)三関(さんかん)」という難関なことで有名な公案があります。この則の本文に中に「四大分離して何れの処に向かってか去る」つまり「死んだらどこに行くか」と問うています。私は、55歳の時に、「二十歳の娘(真理子)が飲酒運転の車に殺されるという理不尽な突然死」と遭遇しました。このことは、まさに「兜率三関」と同じ公案に取り組まざるをえなくなったことに相当します。 二十歳の娘を亡くした後に、「娘は死んでどこに逝ったのだろう。」と娘のことを思いながら念仏していると、次のような事実に行き当たりました。それは、私が結婚する前には、娘はこの世にはいなかった。そして、昭和五十四年に二女として生まれてきて、私たちと二十年間一緒に暮し、死んでいった。だから、今はこの世の中のどこにもいないということです。つまり、いのちが無(空とも言える)から出てきて実在(色とも言える)となり、実在(色)から無(空)へと帰っていったことになります。般若心経には、有名な語句「色即是空 空即是色」があります。並べかえて「空即是色 色即是空」とすれば、空→色→空と展開していることがはっきりと受け止めることができました。娘は「空」に帰っていったのでした。私たちは「空」から来て「色」となり、そして「色」からまた「空」となる存在であることがよくわかりました。だから、「娘からの公案」の見解は、「死んだら、空に帰る」ということだと確信いたしました。

   この見解は、「香厳撃竹大悟の因縁」と関連があるように考えています。 その話は、「潙山の弟子で香厳知閑という大変に聡明なお坊さんがいました。ある日、お師匠さまの潙山から、「汝は聡明博解であるが父母未生以前の本来の面目である自分自身の一句を持ってきなさい」と言われます。父母未生以前とは、自分の父母が生まれる前の自分の絶対的価値観として心性を表してみよということです。香厳は思案を重ねますが、みなどこかで学んだ祖師の言葉や経典類などばかりで自分自身の一句というものが、どうしても出てきません。ついに「画餅飢えを癒さず(絵に描いた餅では飢えを癒すことはできない)」と言って、学んだ本や経典類の一切を焼いてしまったのです。それから慧中国師の庵に引きこもって墓守りとして作務三味の修行をしておりました。何年か経った或る日掃除をしていると、偶然、箒ではいた瓦のかけらが竹に当たり、その音を聞いて香厳禅師はハッと悟られた。」というものです。 香厳禅師は、何を悟られたのでしょうか。それは、この竹から発せられた音で、「沈黙(空といえる)を悟られた」のです。音が発生するのは、「沈黙」があるから発生するのです。沈黙→音→沈黙と展開しています。「沈黙」の世界は、「無」または「空」です。そこから「声・音」が生ずるのです。「空」こそが全てです。命あるものも「空」から生まれてきます。だから、父母未生以前の本来の面目である自分自身は、「空」であるのです。 

      これはまた、松尾芭蕉の悟りの句「古池や蛙飛び込む水の音」における音とも関係があります。山田無文老師の法話「青苔未生」には、芭蕉の悟りの様子が、次のように書かれています。 「五月晴れのある一日、仏頂禅師はこころよい薫風に誘われて、深川の芭蕉庵を訪れた。庵の主も久しく長雨に閉じこめられていたが、近ごろ心境頓(とみ)に開けて、ぜひ禅師に相見(しょうけん)もし参禅もしたいと思っていたやさきであった。禅師の足音を聞きつけると、すぐ表へとび出し、そして二人は顔を見合わせてニッコリ笑った。 「さては何かつかんだナ」、禅師はじきに見てとった。そしてやにわに商量が始まった。商量というのは、もとは商売上の駆(か)け引きのことであるが、禅僧の心と心とのやりとり、つまり問答のことを古来商量という。 まず禅師が口をきった。 「近日何の得る処ぞ」、どうだい、ボロいことをしたようじゃないか。 「雨過ぎて青苔洗う」、と芭蕉が答えた。何とこの苔の青いこと、雨後はまた格別で、指をふれたら手が染まりそうです。 「如何(いか)なるか青苔未生(みレよう)以前の仏法」、青苔の生えない先はどうじや。禅師はするどいメスを突き刺された。 禅宗ではよく「父母未生以前、本来の面目」ということをいう。天地未分以前の消息(しようそく)、神さまが天地を創造されない以前の光景はどうかというのである。 言葉を換(か)えていえば、天とも地とも我とも他とも、善とも悪とも、意識が分裂されない以前、一念の念も未だ生じない前はどうかというのである。もう一度言葉を換えていえば、宇宙の根源、意識の実体は何かということである。 それは無だ、空だ、何にもないところだ、などと早合点(がつてん)され勝ちなところ。古来そのような虚無観を“黒闇(こくあん)の鬼窟”といい、宗門で最も警戒される難治の禅病である。 「如何なるか青苔未生以前の仏法」、禅師のメスは今やまさにその病の極処(きよくしよ)をえぐろうとされるのである。 答は直ちに反撥した。「蛙飛(かわず)び込む水のおと」。ホラ蛙が飛びこみましたよ、あの音。そのときドボンと蛙が飛びこんだにちがいない。一面の静寂を破って池の中へ飛びこんだ蛙の響き、これこそ天地未分以前の好消息、芭蕉に感得された青苔未生以前の仏法であった。 「珍重(ちんちょう)珍重」まず、そんなもんかい、禅師は快く肯(うけが)って印可を与えられ、そして“一心法界、法界一心”の八字の書が、持っておられた如意とともに授けられたということである。 芭蕉のあの幽玄な句境はここに打開され、その俳道はここに樹立されたといってもよいであろう。 その夜、芭蕉はこの未完成の十二字「蛙飛(かわず)び込む水のおと」を門弟(もんてい)たちに示し、これを一句にまとめることを提案した。杉風(さんぷう)は「宵闇や」と冠(かむ)らせ、嵐雪は「淋(さび)しさや」とおき、「山吹や」と其角がそえてみたが、どれも芭蕉の気にいらなかった。そして、わしならこう置こうと、 古池や蛙飛び込む水のおと の一句が、みなの前に示されたといい伝えられる。」 (山田無文著「心に花を」春秋社 昭和三十九年)

      抜隊得勝禅師(1327~1387)は、『塩山仮名法語』の冒頭で、「空」ついて、次のように述べられています。 「輪廻の苦を免れんと思はば、直に成仏の道を知るべし。成仏の道とは、自心を悟る是なり。自心といふは、父母もいまだ生まれず、わが身もいまだなかりしさきよりして、今に至るまで移り変わることなくして、一切衆生の本性なる故に、是れを本来の面目と云へり。此の心もとより清浄にして、此の身生まるる時も、生まるる相もなく、此の身は滅すれども、死する相もなし。又男女の相にもあらず、善悪の色もなし、比喩も及ばざるゆえに、是れを仏性といへり。しかも万の念、此の自性の中よりおこること、大海より波のたつがごとし、鏡に影のうつるに似たり。 此の故に自心を悟らんと思はば、まつ念の起こる源を見るべし。ただ寝ても醒めても、立ち居につけても、自心これ何物ぞと深くうたがいて、悟りたきのぞみの深きを、修行とも、工夫とも、志とも、道心とも名けたり。又かやうに自心をうたがひて居たるを、坐禅とは云へり。」 これから、抜隊得勝禅師は、「空」を「仏性」または「自性」と言われている。 「わが身を見るに幻の如く、水の泡、影の如し。自ら心を見るに虚空の如し、形もなし。此の中に、耳に声を聞き、響きを知る主は、さてこれ何者ぞ。 ただ今目に色を見、耳に声を聞き、手を挙げ足を動かす主は、是れ何者ぞと見るに、是は皆自心のわざと心得たり。」 耳に声を聞く者は、「自心」であるが、それは「空」から生じたものであると言える。

    また、一休宗純禅師(1394~1481)には修行中の次の歌があります。 「本来の面目坊が立ち姿、一目見るより恋とこそなれ」、 「我のみか釈迦も達磨も阿羅漢も此の君ゆえに身をやつしたれ」 この歌の中の「本来の面目坊」とは、公案「父母未生以前の本来の面目如何」にある「本来の面目」から来ています。「本来の面目」とは、「大いなるもの」即ち「阿弥陀仏」です。「本来の面目」に触れたい会いたい一心で高次の恋(霊恋)をしている様子を歌ったものである。それは、「大いなるもの」に接触しないと、自己の霊性(仏性)が目覚めないからであると考えられます。そして悟りの歌として、次のものがあります。 「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、生まれぬ先の父ぞ恋しき」 この歌の意について、辨栄上人は、「我らは今、人間に生まれ出しも、我が心霊が何れより来たかということも知らない。また、死して何れに趣向すべきやもしらず、闇より闇にさまよう凡夫である。しかるに先覚者なる釈尊の教えたる経文を読みて初めて我らは、無明を父とし、煩悩を母として生を受けたるもの、その先の迷い出ぬ昔の本覚真如の都に自性天真如来という真の父の在ますと聞きてより心の奥底に潜める霊が喚起されてしきりに天真のミオヤが恋しくなるということである。」(人生の帰趣、451頁)  「闇の夜」とは、「空」のことである。「空」の中にすべてがある。「鳴かぬ烏の声聞けば」というところは、その「空」の中では鳥は鳴かないし、声は聞こえないが、その「空」の中に自分を産んでくれた父母が確かに居たんだと、その「空」がつまり「闇の夜」が領解できたというところが、声を聞いたというところである。 さらに、禅僧の良寛和尚(1757~1831)にも天真のミオヤ・阿弥陀仏について、つぎのような道詠があります。 草の庵ねてもさめても申すこと 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 不可思議の弥陀の誓いのなかりせば 何をこの世の思い出とはせむ 我ながら嬉しくもあるか弥陀仏の いますみ国に行くと思えば 釈尊は、三十五歳の十二月八日未明、暁の明星(金星)の光を見て、宇宙の大法である縁起の法を発見せられました。 考えてみるに、光が生ずるためには、闇がある。闇があるからこそ金星の光が生じます。闇とは、「空」のことである。「空」の中にすべてがある。縁起とは、「空」の中に生ずる現象のことである。 この縁起の法こそが、『大いなるもの』・如来であるといえます。釈尊は、光(金星の光)に如来を感じられていたのです。 この縁起の法は釈尊の出世に関係なく永遠の過去から未来まで、宇宙に存在するあらゆる物を貫き、働いています。たまたま釈尊によって発見されたから仏法と名づけるのであって、それは物理学の万有引力の法則のごとく、いつどこで、だれでも認めなければならないものなのです。さらに釈尊がこの偉大なる悟りをおひらきになったとき、まず口をついて叫ばれたことは、「奇なる哉、奇なる哉、一切衆生悉く皆如来の智慧徳相を具有す」というお言葉であったと言います。また「一仏成道して法界を観見すれば、草木国土悉く皆成仏す」というお言葉であったと申します。大自覚にはいられた釈尊が、自ら反省してみられたとき、その自覚の内容である智慧と慈悲は、修行してえられたものではなく、万人がひとしく、生れながらにして心中に内存しておるもの・霊性であったことに気づかれて、驚喜されたのです。 仏釈尊が「草木国土悉皆成仏」と言われたように、あらゆるものが如来の徳を備えているのであるから、あらゆるものの中に「大いなるもの」を見ることができると言えます。謙虚な自然科学者は自然法則、宇宙の起源や遺伝子の構造の中に「大いなるもの」を見ています。他方、宗教者は、光、音、風、水、雪、月、花、など自然の中に「大いなるもの」を見ています。例えば、同じ水であるが、水のことを日本語では水といい、英語ではウォーター(water)、ドイツ語ではバッサー(Wasser)、ラテン語でアクア(aqua)と言うように、『大いなるもの』につき、様々な呼び名があります。それは、「いのちの根源」、「大いなるいのち」、「見えないいのち」、「サムシング・グレート」、「宇宙の真理」、「阿弥陀仏」、などである。さらにギリシャ哲学の完成者たるプロティノス(Plotinos)は、「一者(to hen)」と呼び、東洋では、老子は、「道」といい、また荘子は「自然」という言葉を用いている。禅の世界では、「本来の面目」とか臨済禅師は、「一無位の真人」、鈴木大拙は、「霊性」、と呼んでいます。

   華厳経の中に「一々の微塵の中に、各々仏あり」とあります。次の金子みすずの詩は、そのことを分かり易く詠んでいます。 はちと神さま(金子みすず作詞) はちはお花のなかに,お花はお庭のなかに,  お庭は土塀のなかに, 土塀は町のなかに,町は日本のなかに, 日本は世界のなかに,世界は神さまのなかに。 そうして,そうして, 神さまは小ちゃなはちのなかに。 この詩は、超越(世界(はちはその中に一つ)は神様の中に)と内在(神さまは小ちゃなはちのなかに)を述べています。神様の中に私がおり、私の中に神様がいるという。超越と内在が一つになって働いてくること、外から働きかける者が内から湧き出てくる。私のこころがなくなったとき(空になったとき)に、滾々(こんこん)と私のこころの奥から泉の如く湧き出てくる者がある。  仏通寺で、共に藤井虎山老師の下で参禅していた友人・岡本貞雄氏から、真理子の突然死に対するお悔やみの手紙の中で、 「会者定離 さわさりながら 窓の雪」 の句を頂きました。この下の句の「窓の雪」が、大切なポイントであると語っていましたが、そのことは、すぐには理解できませんでした。亡き子の7回忌の時に、供養のために「交通安全観音」像(高さ3.5m)境内に建立し、昨年は17回忌をしました。今回その観音像を拝んで、私も拙い句を作ってみました。 「無常の風 教えられたり 白い雲」

引用参考文献 1)中山正和著:悟りの構造-正法眼蔵の解明-、産業能率大学出版部、1985年 2)河波 昌著:形相と空、春風社、2003年 3)S.W.ホーキング著:ホーキング宇宙を語る~ビッグバンからブラックホールまで  早川書房、1989年 4)山田無文著「心に花を」春秋社、1964年